Saturday, September 25, 2010

神奈川県

神奈川県 プロファイル,
神奈川県 かながわけん
地方関東地方
団体コード14000-7
ISO 3166-2:JPJP-14
面積2,415.84km²
総人口9,028,285(推計人口、2010年8月1日)
人口密度3,740人/km²
隣接都道府県東京都、山梨県、静岡県
千葉県(東京湾を挟んで隣接)
県の木イチョウ
県の花ヤマユリ
県の鳥カモメ
他のシンボル県の色:かながわブルー
県民歌:光あらたに
知事松沢成文
神奈川県庁
所在地〒231-8588 神奈川県
横浜市中区日本大通1番
神奈川県庁舎
外部リンク神奈川県
神奈川県の位置
特記事項 :
神奈川県行政区画図
 ― 政令指定都市 /  ― 市 /  ― 町 /  ― 村

神奈川県旗

神奈川県旗
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神奈川県(かながわけん)は、日本の県の一つ。関東地方の南西端、東京都の南に位置する。県庁所在地は横浜市。県名は東海道筋に古くから栄えた宿場町神奈川宿(現在の横浜市神奈川区)に由来する。
都道府県別の人口は東京都に次ぐ第2位。人口密度は東京都、大阪府に次ぐ第3位。県内総生産は東京都、大阪府、愛知県に次ぐ第4位。政令指定都市数は3つと日本最多。面積は第42位の規模である。

概要 

神奈川県は、関東地方の南西部に位置する県で、もとの相模国全域と武蔵国の一部にあたる。県の人口は9,028,285人(2010年8月1日現在)で、総人口の約6.9%を占め、面積は2415.84km²で、国土の約0.6%を占める。
県内の市町村数は33で、うち市は19、町は13、村は1。県内の政令指定都市は横浜市・川崎市・相模原市の3市、中核市は横須賀市の1市、特例市は小田原市・大和市・平塚市・厚木市・茅ヶ崎市の5市である。
県東部の横浜市、川崎市は、都市化・工業化が進んでおり、東京湾に面した京浜工業地帯の一角を形成する。県西部は緑豊かな丹沢山地から足柄山地、箱根山が連なり、酒匂川が流れる足柄平野には小田原城の城下町・小田原市が開ける。県中央部は相模原市、海老名市などの平野部で都市化・工業化が進んでおり、相模川が流れ平塚市から相模湾に注ぐ。県南東部は、海沿いに茅ヶ崎市、藤沢市が開け、鎌倉幕府がおかれた鎌倉市から、明治以来の軍港都市・横須賀市がある三浦半島にかけて、三浦丘陵が連なる。
県域は、古くは相模国の中心である相模湾沿岸部と相模川流域部が栄えた。川崎市と横浜市の大部分を占める武蔵国の領域は、古東海道(矢倉沢往還)沿いと東京湾沿岸を中心に小規模な農漁村が形成された。古代には平塚市付近に国府が置かれたと推定され、大磯町には高句麗(朝鮮半島北部から中国東北部に至る古代国家)からの渡来人居住地が置かれた。
平安時代から武士団の活動が活発化し、鎌倉時代には鎌倉に鎌倉幕府が置かれた。
戦国時代には北条氏(後北条氏)の拠点である小田原が隆盛を誇った。江戸時代には江戸幕府の置かれた江戸への交通路として東海道が整備され、東京湾沿岸部の開発が進んだ。県域には幕府直轄の代官支配地と旗本・御家人の所領が多く配された。江戸時代中期以降、県域内に本拠を置いた大名領(藩)は西部の小田原藩(小田原市)及び規模の小さい2藩(荻野山中藩(厚木市中荻野)、武蔵金沢藩(六浦藩、横浜市金沢区))のみであるが、一方で県域外に本拠を置く大名の飛地領が多く置かれ(烏山藩(栃木県那須烏山市)、佐倉藩(千葉県佐倉市)、西大平藩(愛知県岡崎市)など)、県域内の支配はモザイク状に細分されていた。幕末には横浜港が開港され、明治時代に入ると東京湾沿岸部を中心として発展した。
戦前・戦後を通じて、京浜工業地帯周辺における商工業の発展と東京一極集中に伴うベッドタウン化などにより人口も増加したため、県内には過疎地域自立促進特別措置法によって指定された過疎地域がない。とは言え、後述(#人口)のように横須賀市や小田原市、三浦市など人口の停滞ないし減少が顕著な地域もあり、また足柄上地域などに中山間地域を抱えている点に他都道府県と変わりはない。



地理 



みなとみらい21


市町村境界図


神奈川県最高峰、蛭ヶ岳


やまびこ大橋から宮ヶ瀬湖
みなとみらい21
市町村境界図
神奈川県は関東平野の南西端に位置し、東西約78km、南北約60km となっている。県域はかつての相模国全域と武蔵国久良岐郡・橘樹郡・都筑郡(現在の川崎市および横浜市の一部)からなる。 西は丹沢山地で山梨県、箱根山地で静岡県と接する。東は東京湾に面し、東京湾アクアラインを介して千葉県と連絡する。南は相模湾に面し、三浦半島が太平洋に突出する。北東部の川崎市では多摩川下流が東京都との境界となっているが、中流部では東京都に属する稲城市、多摩市、町田市が多摩川以南に張り出し、町田市はその南西部で境川を都県境として本県の相模原市、大和市と接している。
土地の利用区分面積(2003年)は、森林・原野が39.2% を占め、以下、宅地の26.5%、農用地の8.8%、道路の7.9%、水面の3.8% と続く。
県内の最高峰は蛭ヶ岳 (1,673m) で、檜洞丸 (1,601m)、大室山 (1,588m) が続く。川の長さは相模川 (55.6km) が最も長く、境川 (52.1km)、中津川 (32.8km) が続く。湖の面積は芦ノ湖 (7.1km²) が最も広く、宮ヶ瀬湖 (4.6km²)、相模湖 (3.3km²) と続く。



地形 
県域は中央部を南流する境川と相模川によって大きく東部丘陵地帯(境川以東)、中央部低地帯(境川-相模川)、西部山地帯(相模川以西)に分けられる。海岸線の長さは約430km に及び、変化に富んでいる。


東部:多摩丘陵・三浦半島 
多摩川と境川にはさまれた県内東部の地形を特徴づけるのは多摩丘陵を中心とする丘陵地形である。東京都多摩地域南西部から続く多摩丘陵のうち、県内に属するのは南部の標高70-90m ほどの低位面である。東京湾側斜面と相模湾側斜面とを分ける分水界は西に偏しており、東京湾側では多摩川支流の三沢川や五反田川、鶴見川とその支流の恩田川、さらに帷子川や大岡川などによって、また相模湾側斜面では境川支流の柏尾川とその支流によって樹枝状に侵食された谷(谷戸)が分布する。
川崎市高津区南部から横浜市港北区・鶴見区・神奈川区にかけての高台はこの丘陵面よりも一段低い標高40-60m ほどの洪積台地で、鶴見区内の地名から下末吉台地と呼ばれる。横浜市中部の野毛山・久保山や根岸台などの高台も同じ堆積面と考えられ、また多摩川対岸の武蔵野台地南東部の荏原台や淀橋台とも対比される。多摩川は北の武蔵野台地と南の多摩丘陵・下末吉台地の間を流れ、沖積低地を形成する。川崎市川崎区と東京都大田区南部(蒲田・六郷・羽田地区)にかけて三角州を形成しているが、人工的な地形改変が著しい。
多摩丘陵の主稜線は、横浜市の最高地点である円海山 (153m) ・大丸山 (156m) を経て三浦半島に続く。三浦半島はそのほとんどを三浦丘陵によって占められ、これを侵食する小河川沿いに開けた谷戸に鎌倉、逗子、横須賀などの都市が分布する。しかし平坦地が乏しいために、横須賀では早い段階から丘陵上にまで市街化が進み、他の地域でも高度経済成長期後半以降大規模な地形改変による宅地開発が行われている。横須賀市南部の平作川の河谷付近よりも南では衣笠断層や北武(きたたけ)断層、武山(たけやま)断層など、西北西 - 東南東方向に伸びる活断層が並行している。この活断層群は浦賀水道を挟んだ房総半島南部まで続く。半島南端の武山断層以南の三浦市では大きく分けて3段の海岸段丘が発達し、段丘面上には平坦地が広がる。段丘を樹枝状に侵食する河谷の末端は沈水して、小網代湾や油壺湾などの溺れ谷が分布する。



中央部:相模平野 
県中央部の相模川中下流域に広がる階段状の平坦地を相模平野と呼ぶ。広義には関東平野の一部とされることもあるが、多摩丘陵によって分離され、地質構造上は独立の堆積盆地とされる。相模川の堆積作用によって形成された相模平野は、古い堆積面である相模野台地(相模原台地)と現在の堆積面である相模川低地とに分けられる(相模川低地の部分を「相模平野」と呼ぶこともある)。
相模野台地は、相模川左岸と境川の間の大部分を占める洪積台地であり、西側の相模川沿いで顕著に見られる階段状の地形は最終間氷期以降に形成された河岸段丘である。北部の相模原市(旧市域)では大きく3段の平坦面に分けるが、台地南西端に位置し地質的な由来を異にする高座台地や、さらに古い時代の堆積面が丘陵となってわずかに残る座間丘陵など、詳細には10数段の平坦面が分布する。一方、相模川右岸にも中津台地と呼ばれる洪積台地が愛川町東部から厚木市北部にかけて広がっているが、その規模は相模野台地に比べると小さい。
相模川は相模原市当麻(たいま)付近で流路を南に変え、海老名・厚木付近から両側に自然堤防と後背湿地を発達させた沖積低地を形成する。この低地は西の丹沢山地から流れ出す金目川水系が相模川右岸に形成した低地と一体となって県中央部に広い平野をつくる。相模国内では早くから開発された地域であり、海老名には国分寺が建立され、寒川町には相模国一ノ宮である寒川神社が鎮座する。平塚から藤沢かけての相模湾岸には、縄文海進高潮期以降の海岸線の後退を反映して10列以上の砂堆列が分布する。湘南海岸として知られるこの砂浜は、相模川や酒匂川などから供給された土砂に由来すると考えられているが、近年はダム建設などによる供給との不均衡から侵食が著しい。



蛭ヶ岳より西丹沢
丹沢・二ノ塔より秦野盆地(手前)と箱根山地(奥)。その間(中央左)に大磯丘陵と足柄平野。左は相模湾で、奥の陸地が突き出たところが真鶴半島。




丹沢・二ノ塔より秦野盆地(手前)と箱根山地(奥)。その間(中央左)に大磯丘陵と足柄平野。左は相模湾で、奥の陸地が突き出たところが真鶴半島。
県西部の山地は、それぞれの間に位置する秦野盆地と足柄平野によって北部の丹沢山地、東部の大磯丘陵、西部の箱根火山および足柄山地に分けられる。
足柄平野の北東縁で大磯丘陵との境界をなす直線的な急崖は国府津-松田断層と呼ばれる非常に活発な活断層によるものであり、これを山北町の神縄断層に延長した国府津-松田-神縄断層帯は東日本を載せる北アメリカプレートと伊豆半島を載せるフィリピン海プレートの境界と考えられている。丹沢山地は、フィリピン海プレートに載って南から移動してきた伊豆半島が本州に衝突することで隆起して形成された山地であり、大磯丘陵は国府津-松田断層の活発な活動の蓄積によって隆起した丘陵である。国府津-松田断層は相模湾底の相模トラフに続き、1703年の元禄大地震や1923年の関東地震(関東大震災)などの大地震の震源となっている。
箱根火山は伊豆・小笠原弧に属し、二重の外輪山を持つ大規模な複式火山である。約65万年前に活動を始め、現在の熱海-三島-御殿場-小田原を山麓とする巨大な火山が形成された。約25万年前に起きた巨大噴火以降、白銀山-大観山-三国山-金時山-明神ヶ岳-明星ヶ岳を外輪山(古期外輪山)とする最初のカルデラが形成され、約6万5千年前の大噴火の頃までに浅間山-鷹巣山および屏風山を東側の外輪山(新期外輪山)とする新しいカルデラが形成された。現在の中央火口丘である神山や駒ヶ岳などは約3万年前に活動を開始し、それ以前に形成されていた古い中央火口丘を覆って成長した。中央火口丘からの火砕流や山体崩壊による堆積物が北側を回って流れていた早川を堰き止め、仙石原や芦ノ湖が形成された。箱根火山では現在でも大涌谷で噴気活動が見られ、周囲に箱根温泉、湯河原温泉など多くの温泉が分布する。



気候 
太平洋側気候で太平洋側に位置するため、温暖であり、また雨量が多い。気象庁の予報警報規程では東部(代表地:横浜)と西部(代表地:小田原)に分けられ、天気予報が発表される。ただしこの区分による「東部」と「西部」の境界は相模川ではなく、相模川東岸の旧市域を含めた相模原市全域が「西部」に、逆に相模川の西側に位置する平塚市・大磯町・二宮町が「東部」に属する。2010年5月27日に同規程が改正され、気象警報・注意報は市町村単位で発表されるようになったが、従前の発表単位であった旧「二次細分区域」(改正後は市町村が「二次細分区域」とされている)はそのまま市町村等をまとめた地域として適宜報道機関などで用いられている。これも含めた県内の区分は以下のとおりである。
東部
横浜・川崎 - 横浜市、川崎市
湘南 - 平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、大和市、海老名市、座間市、綾瀬市、寒川町、大磯町、二宮町
三浦半島 - 横須賀市、鎌倉市、逗子市、三浦市、葉山町
西部
相模原 - 相模原市
県央 - 秦野市、厚木市、伊勢原市、愛川町、清川村
足柄上 - 南足柄市、中井町、大井町、松田町、山北町、開成町
西湘 - 小田原市、箱根町、真鶴町、湯河原町
横浜・川崎、湘南、三浦半島、西湘は海洋性気候、相模原、県央、足柄上は内陸性気候を併せ持つ。



各地の平年値 
地点名 年平均気温
(℃) 最寒月
平均気温
(℃) 最暖月
平均気温
(℃) 年間降水量
(mm) 最少雨月
降水量
(mm) 最多雨月
降水量
(mm)
横浜 15.5 5.6
(1月) 26.4
(8月) 1,622.5 43.2
(12月) 232.4
(9月)
海老名 15.1 4.5
(1月) 26.3
(8月) 1,669.3 40.4
(12月) 246.0
(9月)
小田原 15.1 5.3
(1月) 25.7
(8月) 2,024.2 45.3
(12月) 265.8
(9月)
東京 15.9 5.8
(1月) 27.1
(8月) 1,466.7 39.6
(12月) 208.5
(9月)
県東部に位置する横浜市と西部に位置する小田原市は共に海に面し、平均気温(平年値)の推移は大差がない。しかし、年間降水量(平年値)は小田原の方が横浜よりも25%ほど多い。内陸の海老名は1月の平均気温が低くなっており、平均最低気温が-0.6℃と氷点下まで冷え込む。
神奈川県では、箱根火山付近を中心とする西部の山岳地帯で年間降水量が最多となり、東部に向かって年間降水量が減る傾向にある(最少となるのは三浦半島南端の三浦市)。箱根山地のすぐ東に位置する小田原と、県東端に位置する横浜の年間降水量は、この傾向を端的に示している。
グラフ(月ごとの値)

横浜市の平年気温


横浜市の平年降水量


小田原市の平年気温


小田原市の平年降水量

横浜地方気象台のデータによる
横浜・東京は1971年-2000年、小田原、海老名は1979年-2000年の平均値


芦ノ湖(富士箱根伊豆国立公園)を周航する箱根海賊船


自然公園 
国立公園
富士箱根伊豆国立公園
国定公園
丹沢大山国定公園
県立自然公園
県立丹沢大山自然公園、県立陣馬相模湖自然公園、県立真鶴半島自然公園、県立奥湯河原自然公園



歴史 

原始時代 
旧石器時代の遺跡は少ないが、概ね小規模ながら縄文遺跡は県内全域にわたって多く見られる。 弥生遺跡は少なく、小規模で質も劣る。これは、弥生文化の進出が後れたことを示すものと考えられる。 また古墳も概ね小規模で、出現は畿内に1世紀以上後れた4世紀の中頃ないし後半とされる。


古代 
芦ノ湖(富士箱根伊豆国立公園)を周航する箱根海賊船


鎌倉・鶴岡八幡宮
5世紀前半には、在地土豪がヤマト王権に服属。相模川流域に相武(さがむ)国造、酒匂川流域に師長(しなが)国造、鎌倉・三浦付近に鎌倉別が任命された。534年には橘樹郡・久良岐郡に屯倉が設けられる。
古代から中世にかけては、住人の中の富者が開墾地を広げ貢納物資の輸送にあたるなどしてさらに富裕となり、これを守るための自衛武力を蓄える。中央から相模・武蔵に派遣された役人の土着が相次いだ。
神奈川県域は、相模八郡と武蔵国三郡からなる。国司が政務を執る政庁(国衙)は、国府と呼ばれた。相模国の国府は初め海老名に置かれ、後に移された。移転先の所在地は、はっきりしないが、『和名類聚抄』によると大住郡、『伊呂波字類抄』には余綾郡にあったとされる。武蔵国の国府は、東京都府中市大国玉神社付近といわれる。その神社境内から国庁脇殿と考えられる建物跡や敷き瓦が出土している。 聖武天皇によって天平13年(741)に詔が出され、全国に国分寺(僧寺と尼寺)が造営された。武蔵国分寺は東京都国分寺市に所在し、僧寺の伽藍は、中門・金堂・講堂が一直線に並ぶ東大寺式である。寺域は3~4町四方(約15ヘクタール)で、全国でも最大規模に属する。相模国分寺は、海老名市国分にある。僧寺は東西160メートル、南北120メートルの回廊をめぐらし、中門・東西に金堂と塔・講堂が配置された法隆寺式で、詔が出された天平より古い白鳳様式であるので、郡司の氏寺を改修したものと考えられている。尼寺は、中門・金堂・講堂と並び、講堂の両脇に経蔵と鐘楼がある。
延喜式内社としては足上郡に寒田神社、余綾郡に川勾神社、大住郡に前鳥神社、高部屋神社、高座郡に寒川神社(名神大社)などが鎮座する。



中世 
中世には鎌倉に初めて幕府が開かれ、武家政治の中心となる(鎌倉時代)。 戦国時代には小田原城を拠点とする戦国大名北条氏が旧支配勢力を滅ぼし、関東の覇者として不動の地位を固めた。後北条氏の優れた統治のもと、小田原は関東最大の都市に成長した。独自に海外と交易を行い、城下に唐人町を抱え、名君として名高い三代当主北条氏康によって日本で初めての水道である小田原早川上水が建造されるなど、日本で最も進んだ都市の一つであった。


小田原・小田原城



近世 
江戸時代には小田原藩が存在したが、旗本領も多く、三浦按針(ウィリアム・アダムス)が徳川家康から三浦半島に領地を拝領したことは有名である。江戸時代中期以降、現県域内に本拠を置いたのは小田原藩のほかに同藩の支藩である荻野山中藩および武蔵金沢藩(六浦藩)があり、ほかに県域外に本拠を置く藩(烏山藩、佐倉藩、西大平藩など)の飛地が多く配された。小田原藩は相模川以西にある程度まとまった所領を有していたが(全域を領していたわけではない)、特に相模川以東では幕府領・旗本領・大名領のいずれについても支配が細分されて相給とされる村が極めて多く、現県域内において地域的なまとまりを醸成するような一円的な支配は行われなかった。
江戸時代初期には徳川家康が好んで鷹狩りを行い、小杉御殿(現在の川崎市中原区)、神奈川御殿(横浜市)、藤沢御殿(現在の藤沢市)、中原御殿(現在の平塚市)などの将軍滞在所が置かれた。これらの御殿の使用は、3代将軍徳川家光の代までおこなわれ一時すたれたが、8代将軍徳川吉宗の代に復活した。
19世紀の初頭から「黒船」が日本近海に現れるようになり、日本の開国を求めてきた。中には武力で「開国・開港」を迫る国もあった。沿岸地域の警備が政治問題となり、神奈川県下では会津藩が文化7年(1810) から観音崎・西浦賀・三崎・に台場や陣屋の建設に着手した。これらの陣屋には会津藩士が常駐し、軍事訓練を行った。有事には沿岸の村々から漁船・荷物船を徴発する体制がつくられた。その後も黒船の来航は止まず、文政元年(1818)5月にはイギリス船が、同5年(1822)にはイギリス補鯨船が洲崎沖(千葉県)、天保8年(1837)6月にはアメリカ商船モリソン号が浦賀沖に来航した。これら相次ぐ黒船の来航に、警備が強化されるとともに、非常時には沿岸の村々の人々を広く動員することが決められ、名主や村役人が警備担当者を分担することとなり、江戸湾の周囲の地域は防備の最前線に立たされる事となっていった。弘化3年(1846)5月アメリカのビットル艦隊が江戸湾内に来航したときには延べにして船3000隻以上、農漁民4万人以上が防備に徴発・動員された。



幕末
江戸幕府は安政5年(1858年)の日米、日英通商条約(安政五ヶ国条約)で「神奈川」を開港場とすることを約したが、繁華な場所への外国人の雑居により攘夷騒動などのトラブルが起こることを懸念し、出入りの管理が容易で街道筋から離れた対岸の横浜村(現在の神奈川県庁付近)に開港場を開設した。これは条約違反であったが、幕府は横浜は神奈川に含まれると強弁した。当初、欧米列国は条約違反を主張していたものの、この外交論争は間もなく終息する。横浜の港湾設備その他の施設が充実してゆくにつれて、神奈川宿は衰退し、横浜が発展し始めたためである。
安政6年(1859年)、安政五ヶ国条約に基づき開港場とされた横浜と近傍区域(神奈川宿、程ヶ谷宿、本牧、根岸など)の行政を担当する神奈川奉行が設けられ、神奈川奉行所が武蔵国久良岐郡野毛村(横浜市西区紅葉ヶ丘、神奈川県立図書館付近)に、関内の現在神奈川県庁が建つ位置(横浜市中区日本大通)には神奈川運上所(横浜税関の前身)が置かれた。神奈川奉行は横浜周辺の行政とともに、条約で「横浜から十里四方」とされた居留外国人の遊歩区域に関する事務も管掌した。



近・現代 
慶応4年(明治元年)3月19日(1868年4月11日)に神奈川奉行所および神奈川運上所は新政府軍に接収されて横浜裁判所となり[14]、次いで同年4月20日(5月12日)には神奈川裁判所に改称された。さらに、同年6月17日(8月5日)には神奈川府となり[16]、同年9月21日(11月5日)に神奈川県に改称された[17]。寺島宗則が神奈川県の知県事に任命された。半年余のうちに4度も機構変革・改称が行われたことになる。なお、神奈川県史では横浜裁判所が設置された慶応4年3月19日(1868年4月11日)を「立庁記念日」としている。
設置当初の神奈川県は従前の神奈川奉行所・神奈川裁判所の事務を引き継ぎ、「六郷川(多摩川)と酒匂川の間、横浜から十里四方」の旧幕府領・旗本領の行政を担当するものとされた。概ね武蔵国の久良岐郡・橘樹郡・都筑郡および多摩郡の一部、および相模国の三浦郡・鎌倉郡・高座郡・大住郡・淘綾郡・愛甲郡に相当する。ただし、藤沢宿以西の東海道筋や相模川以西の諸村の一部事務を韮山県が担当したり、小田原藩や荻野山中藩、六浦藩(武州金沢藩)の管轄区域との調整などに関連して、現実の支配関係は錯綜している。
明治2年(1869年)、神奈川県域では、小田原藩・荻野山中藩・六浦(むつら)藩が版籍奉還を願い出て同年6月(7月)に各藩主が知藩事に任命され、全国的には中央集権化が進んだ。 明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県の後、同年11月14日(12月25日)に関東地方の府県が統合・再編され、神奈川県の管轄区域は武蔵国のうち久良岐郡・橘樹郡・都筑郡および相模国のうち三浦郡・鎌倉郡とされた。また、相模国のうち境川以西の高座郡・大住郡・淘綾郡・愛甲郡・津久井郡・足柄上郡・足柄下郡の区域は伊豆国全域とともに小田原に県庁を置く足柄県に属するものとされた。これに対して神奈川県は、高座郡および武蔵国多摩郡が外国人遊歩区域に含まれることから従前の通り神奈川県の管轄とするべきであるとの上申書を政府に提出し、これを受けて当初は東京府と入間県とに分割されることになっていた多摩郡全域と、足柄県に属することになっていた高座郡とが改めて神奈川県の所属とされた。ただし多摩郡のうち東京の市街地に近接する中野村ほか31村(現在の中野区・杉並区)は明治5年8月19日(1872年9月21日)に再度東京府へ移管された。この結果、多摩地域が神奈川県の管轄となり、相模川が足柄県との県境となった。 1876年(明治9年)4月18日には足柄県が廃止され、同県の旧相模国地域は神奈川県に、旧伊豆国地域は静岡県に編入された。この時点で、現在の神奈川県の原形が完成した。しかし、上からの行政区域の改編は地域住民の生活感情を無視するものとして、足柄県の廃止の後10年経過した1886年に、再興を願い出ている。
1878年(明治11年)、郡区町村編制法により県内に横浜区および久良岐郡・橘樹郡・都筑郡・西多摩郡・南多摩郡・北多摩郡・三浦郡・鎌倉郡・高座郡・大住郡・淘綾郡・足柄上郡・足柄下郡・愛甲郡・津久井郡の15郡が編成された(東京府管内の多摩郡は東多摩郡となった)。1893年(明治26年)4月1日、西多摩郡・南多摩郡・北多摩郡が東京府へ移管され、現在の県域が確定する。その後1896年(明治29年)3月26日、郡制の施行に際して大住郡と淘綾郡が統合されて中郡となる。


横浜港の横浜赤レンガ倉庫
近代には東京の外港都市となった開港場・横浜を中心に京浜工業地帯が形成され、商業・工業が発展した。
1923年(大正11年)9月1日の関東大震災(関東地震)では、小田原と三浦半島の直下が震源となったことから、大きな被害を受けた。また、当時としては珍しい大規模な都市計画が当時軍都であった相模原市で実施され、現在でも碁盤の目の道路などに名残が残る。
第二次世界大戦では、1944年(昭和19年)以降、横浜市を始めとする沿海都市が空襲や艦砲射撃を受けた。


横須賀・三笠公園の記念艦「三笠」
東京湾の入口を制する横須賀市に置かれた横須賀港は戦前から日本海軍最大級の軍港であり、戦後もアメリカ海軍第七艦隊司令部や海上自衛隊自衛艦隊司令部が置かれている。また、相模原市・座間市に広がるキャンプ座間、綾瀬市・大和市に跨る厚木海軍飛行場、相模原市の相模総合補給廠、相模原住宅など、神奈川県には現在沖縄県に次いで多くの米軍関連施設が存在する。
2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ事件の直後には各施設に厳戒態勢が引かれた。その後もセキュリティレベルは下がっていない。
人口 

人口は1939年(昭和14年)に200万人、1956年(昭和31年)に300万人を超えて以後、ほぼ7年ごとに100万人ずつ増加して行った。2009年(平成21年)7月1日現在では900万1358人と、全都道府県で第2位の人口となっている(人口密度は東京、大阪に次ぐ第3位)。
合計特殊出生率は1.20と全国の1.29を下回っている(平成16年)が、総人口はいまだ増加傾向にあり、特に横浜・川崎・相模原では都心回帰に伴って県内の市町からの転入も多い。一方で、横須賀・三浦・小田原など東京通勤圏最外縁部に位置する市町では減少傾向にある。このため都市部への人口集中が進み、2007年現在、神奈川県民のうち約41%が横浜市民、約15%が川崎市民、約8%が相模原市民である。すなわち、県人口の半数以上が横浜市、川崎市、相模原市に集中していることになる。その一方で、例えば三浦市では人口が5万人を割り込み、戸建て住宅の定住者に10万円の奨励金を交付する三浦市定住促進制度などを導入するなど、人口減が顕著になっている。

神奈川県と全国の年齢別人口分布 神奈川県の年齢・男女別人口分布
■紫色 ― 神奈川県
■緑色 ― 日本全国
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
1980年(昭和55年) 6,924,348人
1985年(昭和60年) 7,431,974人
1990年(平成2年) 7,980,391人
1995年(平成7年) 8,245,900人
2000年(平成12年) 8,489,974人
2005年(平成17年) 8,791,597人
総務省統計局 / 国勢調査(2005年)




政治 

神奈川県庁
県の沿革 
慶応4年/明治元年3月19日(1868年4月11日):神奈川奉行所が明治政府の管轄となり、横浜裁判所に名称変更する。
同年4月20日(同年5月12日):横浜裁判所を神奈川裁判所に名称変更する。
同年6月17日(同年8月5日):神奈川裁判所を神奈川府に名称変更する。
同年9月21日(同年11月5日):神奈川府を神奈川県に名称変更する。
明治4年7月14日(1871年8月29日):廃藩置県により、六浦藩を六浦県、荻野山中藩を荻野山中県、小田原藩を小田原県に名称変更する。
同年9月:六浦県を廃して、神奈川県に統合する。
同月:荻野山中県、韮山県を廃して、荻野山中県の全域と韮山県の旧相模国・伊豆国に属する地域を小田原県に統合する。
同年11月14日(同年12月25日):小田原県を足柄県に名称変更する。
1876年(明治9年)4月18日:足柄県を廃して、足柄県の旧相模国に属する地域を神奈川県に統合する。
1893年(明治26年)4月1日:多摩3郡(北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡)を東京府へ分離する。


歴代知事 
代 氏名 着任年月日
横浜裁判所総督
1 東久世通禧 慶応4年/明治元年3月19日(1868年4月11日)
神奈川裁判所総督
1 東久世通禧 慶応4年/明治元年4月20日(1868年5月12日)
神奈川府知事
1 東久世通禧 慶応4年/明治元年6月17日(1868年8月5日)
神奈川県知事
1 寺島宗則 慶応4年/明治元年9月21日(1868年11月5日)
2 井関盛艮 明治2年4月17日(1869年5月28日)
3 陸奥宗光 明治4年8月21日(1871年10月5日)
神奈川県令
1 陸奥宗光 明治4年11月14日(1871年12月25日)
- (権令)大江卓 明治5年7月14日(1872年8月17日)
2 中島信行 1874年(明治7年)1月15日
- (権令)野村靖 1876年(明治9年)3月28日
3 野村靖 1878年(明治11年)7月25日
4 沖守固 1881年(明治13年)11月8日
神奈川県知事(官選)
1 沖守固 1886年(明治19年)7月19日
2 浅田徳則 1889年(明治22年)12月26日
3 内海忠勝 1891年(明治24年)4月9日
4 中野健明 1893年(明治26年)3月10日
5 浅田徳則 1898年(明治31年)5月14日
6 周布公平 1900年(明治33年)6月16日
7 大島久満次 1912年(明治45年)1月12日
8 石原健三 1914年(大正3年)4月28日
9 有吉忠一 1915年(大正4年)8月12日
10 井上孝哉 1919年(大正8年)4月18日
11 安河内麻吉 1922年(大正11年)10月16日
12 清野長太郎 1924年(大正13年)6月24日
13 堀切善次郎 1925年(大正14年)9月16日
14 池田宏 1926年(大正15年)9月28日
15 山県治郎 1929年(昭和4年)7月5日
16 遠藤柳作 1931年(昭和6年)12月28日
17 横山助成 1932年(昭和7年)6月28日
18 石田馨 1935年(昭和10年)1月15日
19 半井清 1936年(昭和11年)3月13日
20 大村清一 1938年(昭和13年)12月23日
21 飯沼一省 1939年(昭和14年)9月5日
22 松村光磨 1940年(昭和15年)4月9日
23 近藤壌太郎 1942年(昭和17年)1月9日
24 藤原孝夫 1944年(昭和19年)8月1日
25 内山岩太郎 1946年(昭和21年)1月25日
26 渡辺広 1947年(昭和22年)3月12日
神奈川県知事(民選)
1 内山岩太郎(5期) 1947年(昭和22年)4月12日
2 津田文吾(2期) 1967年(昭和42年)4月23日
3 長洲一二(5期) 1975年(昭和50年)4月23日
4 岡崎洋(2期) 1995年(平成7年)4月23日
5 松沢成文 2003年(平成15年)4月23日
(2007年(平成19年)4月23日より2期目在職中)



県議会 

議長・副議長 
議長:国吉一夫(自民党 金沢区)
副議長:舘盛勝弘(自民党 相模原市)

会派 
2009年8月10日現在
会派名 議員数
自由民主党神奈川県議会議員団 39
民主党・かながわクラブ神奈川県議会議員団 34
公明党神奈川県議会議員団 12
県政会神奈川県議会議員団 8
大志・未来の会 3
市民の党 2
日本共産党 1
神奈川ネットワーク運動 1
市民町民議員の会 1
県政維新の会 1
計 102
欠員 5




選挙区別定数 
計47選挙区 定数107(2010年6月11日現在)
選挙区 定数
横浜市 鶴見区 3
神奈川区 3
西区 1
中区 2
南区 2
港南区 3
保土ケ谷区 2
旭区 3
磯子区 2
金沢区 3
選挙区 定数
横浜市 港北区 4
緑区 2
青葉区 4
都筑区 2
戸塚区 3
栄区 1
泉区 2
瀬谷区 1
川崎市 川崎区 2
幸区 2
選挙区 定数
川崎市 中原区 3
高津区 2
宮前区 2
多摩区 2
麻生区 2
相模原市 緑区 2
中央区 3
南区 4
横須賀市 5
平塚市 3
選挙区 定数
鎌倉市 2
藤沢市 5
小田原市 2
茅ヶ崎市 3
逗子市・三浦郡 1
三浦市 1
秦野市 2
厚木市 3
大和市 3
伊勢原市 1
選挙区 定数
海老名市 1
座間市 1
南足柄市 1
綾瀬市 1
高座郡 1
中郡 1
足柄上郡 1
足柄下郡 1
愛甲郡 1




国政 


神奈川県の衆議院議員小選挙区
衆議院
神奈川県は比例区の南関東ブロック(定数22)に属し、小選挙区は県内に18区(定数18)ある。
参議院
参議院議員通常選挙の神奈川県選挙区は定数6(改選数3)。



財政 

平成20年度 
予算一般会計額 1兆6832億円
職員数 一般職 77105名
内訳 教育職51443名、公安職(警察)17050名、一般職員8612名
人件費総額 7877億8871万円
一般会計に占める人件費割合 46.8%



平成19年度 
財政力指数 0.92
Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)17自治体中1位
一般会計歳出 1兆6641億円
自主財源の割合 81.3%
一般財源の割合 79.2%



平成18年度 
財政力指数 0.86
Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)16自治体中2位
一般会計歳出 1兆6457億円
自主財源の割合 69.2%
一般財源の割合 79.3%


平成17年度 
財政力指数 0.82
Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)10自治体中2位



平成16年度 
財政力指数 0.81
Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)8自治体中2位
かながわインターネット放送局 
「かながわインターネット放送局」は神奈川県が運営するインターネットテレビ放送である。知事定例記者会見、県政ビデオクリップ、スポットCMなどのチャネルを用意して県政の広報に務めている。



経済 

名目県内総生産は30兆8145億円(平成16年度の数値。以下、特記以外は同様)で、対全国シェアは6.2% となっている。またこれは約2,867億ドルに相当し、世界第15位のオーストリアや同16位のノルウェーの国内総生産に匹敵する。1人当たり県民所得は317.4万円で、1人当たり国民所得を100とした場合112.3となる。
産業別就業者数は、第1次産業が4万4千人、第2次産業が117万8千人、第3次産業が295万5千人となっている。



産業 
商工業 


横浜港
県内の事業所数(工業を含む)は309,441事業所で全国シェアは4.9%、また従業者数(製造業を含む)は337万4,752人で全国シェアは5.6% となっている(平成13年)。いずれも、東京都、大阪府、愛知県に次ぐ全国第4位である。事業所の40.5% は卸売・小売、飲食店で、29.1% のサービス業がこれに続く。また、従業者の31.7% はサービス業で、29.5% の卸売・小売、飲食店がこれに続く。
化学工業は東京、大阪、愛知を抜いて1位となっている。
県内の工業にかかる事業所数は10,966事業所で、従業者数は421,464人となっている。特に東京湾に面する横浜市や川崎市の臨海部は京浜工業地帯として工業が盛んである。製造品出荷額等は18兆5,660億円で愛知県に次ぐ全国第2位となっている。
県内の商業にかかる事業所数は74,540事業所(卸売業14,764事業所、小売業59,776事業所)で、従業者数は621,811人となっている。事業所数の全国シェアは4.62%となり、東京都、大阪府、愛知県に次ぐ全国第4位となっている。
横浜港、川崎港、横須賀港の3港合計の貿易額は、輸出額8兆3,112億円、輸入額4兆5,389億円で、それぞれ全国の13.6%、9.2% を占める。全国の港別貿易額の順位では、横浜港は成田空港、名古屋港、東京港に次ぐ全国第4位(平成13年以降)、川崎港は第11位、横須賀港は第29位となっている。輸出品の7割以上は機械類及び輸送用機器が占める。また、輸入品は鉱物性燃料が3割、食料品等、機械類及び輸送用機器がそれぞれ約15% を占めてこれに続く。
県内には横浜市・川崎市などの市街地、江ノ島、鎌倉などの湘南地域、三浦半島の海水浴場、丹沢・大山、相模湖などのアウトドア・フィールド、箱根、湯河原といった温泉地など、レジャー施設・観光地も多い。県内の観光客数は1億7,118万6千人(2008年、過去最高)となっている。うち1億5,725万人が日帰り観光客である。地域別に見ると、日帰り観光客が最も多いのは横浜・川崎地域で5,084万8千人、宿泊客が最も多いのは箱根・湯河原地域の578万9千人となっている。
農林水産業 
県内の農家数は29,681戸(平成17年)で、県全体の世帯数の1% にあたる。経営耕地面積は16,978ha で、うち76.7% が畑・樹園地(畑53.6%、樹園地23.1%)となっている。1戸あたりの作付面積は全国平均より小さいが、土地生産性は非常に高い。大消費地に近接する地の利を生かして、キャベツ・大根などの野菜、牛乳、豚肉、花卉の生産が盛ん。果樹はナシおよびミカンの生産が多い。西部、中部の中山間地域では茶が生産され「足柄茶」の統一ブランドで販売されている。農業産出額は761億円で、市町村別では第1位が三浦市(111億円)、第2位横浜市(102億円)、第3位平塚市(63億円)と続く。
漁業・養殖業生産量は57,641t で、うち海面漁業が95.1% を占める。三浦半島に散在する25の漁港を中心に行われ、マグロはえ縄による遠洋漁業と大型定置網による沿岸漁業が盛ん。特に特定第三種漁港の指定を受ける三崎漁港はマグロ遠洋漁業の基地となっており、全国2位の水揚げ金額を誇る(408億700万円、平成17年)。
森林面積は、県土の約4割にあたる95,278ha(うち9割が民有林で、1割が国有林)。林家数は増加しているものの、木材価格の低迷で伐採が控えられているため、造林面積は20ha 以下で推移している。県内の1ha 以上の林家について見ると、1-3ha の林家が全体の67.5% を占め、所有規模は極めて零細である。




県内の主要企業 
横浜市
(旭区)
高梨乳業
(神奈川区)
日本ビクター
(金沢区)
東急車輛製造
日本発条
(都筑区)
菊水電子工業
図研
パナソニック モバイルコミュニケーションズ
(鶴見区)
千代田化工建設
すてきナイスグループ
(保土ヶ谷区)
古河電池
(戸塚区)
小糸工業
コナカ
ニフコ
あい・ホールディングス
大倉陶園
(港南区)
京急百貨店
さが美
(中区)
スリーエフ
ノジマ
ファンケル
富士ソフト
有隣堂
(西区)
エバラ食品工業
相模鉄道
コカ・コーラ セントラル ジャパン
コロワイド
日揮
日産自動車
横浜銀行
川崎市
(川崎区)
富士電機ホールディングス
スパンション
富士通ネットワークソリューションズ
(幸区)
デル
トイザらス
三菱ふそうトラック・バス
パイオニア
(高津区)
日本開閉器工業
富士通ゼネラル
文教堂
ミツトヨ
(中原区)
NECエレクトロニクス
富士通
相模原市
(緑区)
アルプス技研
(中央区)
ノジマ
オハラ
(南区)
ブックオフコーポレーション
その他の市
厚木市
アンリツ
オーイズミ
半導体エネルギー研究所
綾瀬市
多摩川ホールディングス(多摩川電子)
海老名市
アツギ
小田原市
メガネスーパー
茅ヶ崎市
アルバック
東邦チタニウム
宮田工業
平塚市
神奈川中央交通
日産車体
平安レイサービス
藤沢市
江ノ島電鉄
相模ハム
STEP
元旦ビューティ工業
東京ラヂエーター製造
魚喜
横須賀市
関東自動車工業
南足柄市
富士フイルム
富士ゼロックス
アサヒビール

その他、NEC、キヤノンなどの電機工業の研究所・グループ企業が立地する。



地域 

人口:9,028,285人 以下の19市6郡13町1村がある。町の読みは「ちょう」でなくすべて「まち」。
横浜・川崎地域 
圏域内人口:5,100,183人


横浜ランドマークタワー
横浜市(18区) - (県庁所在地・政令指定都市)
鶴見区 - 神奈川区 - 西区 - 中区 - 南区 - 港南区 - 保土ケ谷区 - 旭区 - 磯子区 - 金沢区 - 港北区 - 緑区 - 青葉区 - 都筑区 - 戸塚区 - 栄区 - 泉区 - 瀬谷区
川崎市(7区) - (政令指定都市)
川崎区 - 幸区 - 中原区 - 高津区 - 宮前区 - 多摩区 - 麻生区
県央地域 [編集]
圏域内人口:1,550,031人
相模原市(3区) - (政令指定都市)
緑区 - 中央区 - 南区
厚木市(特例市)
大和市(特例市)
海老名市
座間市
綾瀬市
愛甲郡
愛川町
清川村
※相模原市は、従来「県央地域」に含まれていたが、2006年3月20日の津久井郡津久井町・相模湖町の編入に伴い、県は「津久井地域」としていた旧津久井郡4町の区域を管轄する出先機関(県政総合センター)を統合して県北地域県政総合センターを設置した。2007年3月11日の津久井郡城山町・藤野町の編入に伴い、新・相模原市全域が「県北地域」となった。
※2008年(平成20年)4月1日に県央地域県政総合センターと県北地域県政総合センターを統合して県央地域県政総合センターを設置した。これに伴い、相模原市は再度「県央地域」に含まれることになった。


横須賀三浦地域(三浦半島) 
圏域内人口:732,986人


鎌倉の大仏


湘南海岸と江の島


箱根山と芦ノ湖
横須賀市(中核市・保健所政令市)
鎌倉市
逗子市
三浦市
三浦郡
葉山町




湘南地域 
圏域内人口:1,286,495人
藤沢市(保健所政令市)
平塚市(特例市)
茅ヶ崎市(特例市)
秦野市
伊勢原市
高座郡
寒川町
中郡
大磯町
二宮町



足柄上地域 
圏域内人口:111,799人
南足柄市
足柄上郡
中井町
大井町
松田町
山北町
開成町



西湘地域 
圏域内人口:246,791人
小田原市(特例市)
足柄下郡
箱根町
真鶴町
湯河原町
※人口は2010年8月1日現在。



交通 

空港 
県内に民間空港はない。最寄の空港は東京国際空港・成田国際空港(国際線)である。



鉄道路線 
1991年(平成3年)に日本で3番目に東日本地域では初の鉄道路線の電化(貨物線を除く)。
JRの路線はすべて幹線で地方交通線は存在せず、関東地方では唯一JR東海の在来線が乗り入れている。


横浜駅
東日本旅客鉄道
東海道本線(湘南新宿ライン・京浜東北線)
南武線・鶴見線・横浜線・根岸線・横須賀線・相模線
中央本線・藤野-相模湖
東海道貨物線・高島線・武蔵野南線(貨物線)
東海旅客鉄道
東海道新幹線
御殿場線
京王電鉄
相模原線
東京急行電鉄
東横線・田園都市線・目黒線・大井町線
横浜高速鉄道                              
みなとみらい線・こどもの国線
小田急電鉄
小田原線・多摩線・江ノ島線
京浜急行電鉄
京急本線・大師線・逗子線・久里浜線
横浜新都市交通
金沢シーサイドライン
相模鉄道
相鉄本線・いずみ野線
横浜市交通局
横浜市営地下鉄ブルーライン
横浜市営地下鉄グリーンライン
江ノ島電鉄
江ノ島電鉄線
湘南モノレール
江の島線
箱根登山鉄道
鉄道線・鋼索線
箱根ロープウェイ
大山観光電鉄
伊豆箱根鉄道
大雄山線・箱根駒ヶ岳ロープウェー
神奈川臨海鉄道
浮島線・千鳥線・水江線・本牧線(貨物線)



道路 
高速道路
首都高速道路株式会社
首都高速道路
(B1)湾岸線
(K1)横羽線
(K2)三ツ沢線
(K3)狩場線
(K5)大黒線
(K6)川崎線
東日本高速道路株式会社
東京湾アクアライン
第三京浜
横浜横須賀道路
横浜新道
中日本高速道路株式会社
東名高速道路
中央自動車道
小田原厚木道路
新湘南バイパス
西湘バイパス
国土交通省関東地方整備局横浜国道事務所
保土ヶ谷バイパス



横浜ベイブリッジ(上層部は首都高速湾岸線、下層部は国道357号)
一般国道
国道1号
国道15号
国道16号
国道20号
国道129号
国道132号
国道133号
国道134号
国道135号
国道246号
国道255号
国道271号
国道357号
国道409号
国道412号
国道413号
国道467号

県道
神奈川県の県道一覧を参照のこと


船舶 
東京湾フェリー(久里浜港-金谷港)
東海汽船(久里浜港-伊豆大島・東京)
かつてはマリンエキスプレス(川崎港-那智勝浦港-宮崎港・日向港)、シャトル・ハイウェイライン(久里浜港-大分大在港)などが営業していた。




(ソース:wikipedia)

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